東日本大震災復興応援 ちいさなちから

  • ちいさなちから
    chiichika

  • 活動内容
    activity

  • メンバー紹介
    member

  • ボランティア募集
    volunteer

  • お問い合わせ
    inquiry

  • ホーム
  • 活動内容
  • 私の言葉
  • 私の言葉 提供者 丹羽規仁さん 5月9日
  ちいさなチャリティーまつり
活動内容
ワンコインスマイルプロジェクト
震災復興ベルマーク
私の言葉
  東日本大震災を忘れない教室     
  活動実績   今後の活動  メンバー紹介   ボランティア募集  支援のお願い  お問い合わせ   リンク フェイスブック   ツイッター
 

震災後二ヶ月の仙台 丹羽規仁

●5月9日  ●5月10日  ●5月11日
私の友人は昔仙台に住んでいた、津波の被害は無かったが知り合いの元気な顔を写真に残して欲しいそんな声から私は仙台に行くこととなった。
フォトグラファーとして、写真を撮ることが苦しかった事ははじめてだった、5月10日に石巻に向かうバスに乗った学生の顔は今でも思い出す程です。今まで誰にも見せる事は無かった写真ではありますが、私が被災地で感じた事を伝えるだけでも、もしかしたら名古屋との温度差を止めれれる切っ掛けになるなら、当日ノートに書き込んだ気持ちと共に見てもらえればと思います。
郡山新幹線の中、郡山を過ぎたあたりだろうか、ブルーシートが屋根にかかった家がいくつも見え始める。震災の爪後が痛々しい、仙台はどんな状況なのか想像がつかない。
仙台駅仙台駅は驚くほど日常を取り戻していた、街を見渡してみても阪神淡路のような建物の崩壊は見られなく、過ぎゆく学生の笑顔に大震災の被災地であることを忘れてしまうほどだ
仙台駅周辺街を歩き始めると、各所で建物の被害がみられる、痛々しい光景の隣では子供たちがサッカーをしている、主婦が洗濯物を取りこんでいる。
この地でも震度6の揺れはあったそうだ。
仙台住宅友人の昔住んでいたところだそうだ、建物にはクラックが入り鉄骨が見えるところもある、正確には覚えていないが確か10階程はある建物だ、震災当時は玄関が曲がってしまい扉が空かない家もあったという。当然電気も消えている中で閉じ込められていた人もいる事だろう。
住人は住み慣れたこのマンションから離れることなく、多くの人が生活を続けている、そして津波に流された人のことを思って私たちはいい方だと口にしていた。
このマンションの前には川が流れているのだが、津波が数百メートルのところまで来ていたそうだ。
仙台テレビ名古屋に住んでいる私にとって、この日一番のショックだった事がテレビのニュースだ。
二ヶ月たった名古屋ではまるで救援物資は足りているかの様な報道がながれ、ある市では物資を届ける先がなく物資の管理に困っていると伝えられていた、複雑な矛盾を感じながら一日を終えた。
Tweet
東日本大震災復興応援活動 ちいさなちから
copyright ©2011 ちいさなちから all rights reserved.